2007年 09月 12日
タウシュベツ橋梁 |
夏休み、タウシュベツ橋梁跡を見てきました。
この橋は1939年につくられた、旧国鉄士幌線のコンクリート製のアーチ橋で、線路に沿う音更川に1955年、ダム湖が建設された際に水没しました。けれどもこの湖は浅く、線路も谷の比較的高いところを通っていた為、水位の変化に伴って主に夏期には水面上に現われ、劣化してローマ時代の遺跡か何かのようになった姿を見ることができます。
層雲峡から三国峠を越えてダウンヒルを駆け下りてくると、糠平湖の手前の丸山橋という小さな橋の袂に林道の入口があり、木製の小さな案内札があります。ここを入ってよく整備された砂利敷きの林道コースを数キロ、そろそろと凹凸を避けて走っていくと、やがて明らかに廃線跡と思われる緩やかな線形になり、さらに進んでいくと林道は急なカーブで左に曲がり、人が歩ける程度の泥道がまっすぐに続いている地点に辿り着きます。
ここから、台風明けで道だか小川だかわからないようになっている廃線跡を少し歩くと林が終わり(羆も出没すると言われる山林ではありますが)、眼前に糠平湖が広がります。そして今まで歩いてきた廃線跡からまっすぐに、ぼろぼろになったコンクリートの橋が湖の上に続いています。
既に劣化はかなり進んでいて、端部では鉄筋が露出していたりします。異形でない棒鋼の鉄筋、現地調達された骨材の砂利、そのつくりは鉄筋コンクリートというよりは、石を固めた盛土のかたいやつ、という感じでした。だからこそ風化して自然に帰ろうとしているその姿は、アーチの幾何学的形状が周囲とのコントラストを生み出しているのと同時に、妙に自然の風景の中になじんで見えるのかもしれません。
現地に長居しすぎた為、帰りの林はすっかり暗くなってしまい、熊よけに歌いながら歩いて無事、車まで辿り着きました。
この橋は1939年につくられた、旧国鉄士幌線のコンクリート製のアーチ橋で、線路に沿う音更川に1955年、ダム湖が建設された際に水没しました。けれどもこの湖は浅く、線路も谷の比較的高いところを通っていた為、水位の変化に伴って主に夏期には水面上に現われ、劣化してローマ時代の遺跡か何かのようになった姿を見ることができます。
層雲峡から三国峠を越えてダウンヒルを駆け下りてくると、糠平湖の手前の丸山橋という小さな橋の袂に林道の入口があり、木製の小さな案内札があります。ここを入ってよく整備された砂利敷きの林道コースを数キロ、そろそろと凹凸を避けて走っていくと、やがて明らかに廃線跡と思われる緩やかな線形になり、さらに進んでいくと林道は急なカーブで左に曲がり、人が歩ける程度の泥道がまっすぐに続いている地点に辿り着きます。
ここから、台風明けで道だか小川だかわからないようになっている廃線跡を少し歩くと林が終わり(羆も出没すると言われる山林ではありますが)、眼前に糠平湖が広がります。そして今まで歩いてきた廃線跡からまっすぐに、ぼろぼろになったコンクリートの橋が湖の上に続いています。
既に劣化はかなり進んでいて、端部では鉄筋が露出していたりします。異形でない棒鋼の鉄筋、現地調達された骨材の砂利、そのつくりは鉄筋コンクリートというよりは、石を固めた盛土のかたいやつ、という感じでした。だからこそ風化して自然に帰ろうとしているその姿は、アーチの幾何学的形状が周囲とのコントラストを生み出しているのと同時に、妙に自然の風景の中になじんで見えるのかもしれません。
現地に長居しすぎた為、帰りの林はすっかり暗くなってしまい、熊よけに歌いながら歩いて無事、車まで辿り着きました。
by ryo-oguchi
| 2007-09-12 16:41
| 建築のはなし