2006年 10月 19日
「いい家」を考えはじめる |
最近、「いい家」とはなにか、ということを考えたり話しあったりする機会があり、思考を取りまとめているところです。
いい、悪い、という判断は、人それぞれで違っていて当然なので、ここでいう「いい家」とは、まず自分たちが「いい」と考える家のことです。
けれども、好むと好まざるとに関わらず建築(家も含めて)が社会的な存在である以上、何でもOKでもなければ、儲ければOKでもく、ひとびとのある広がりの中で、共通に「いい」と思える住まいがあって然るべきではないかとも思います。
作り手から無理やり押し付けるのでなく、似たような意識の中で、お互い「いい」と思える家づくりができないか、と考えています。
最近読み返した本の中に、アントニン・レーモンドが弟子達に語った「五つの原則」(natural, simple, direct, honest, economy)というものが、載っていました。
僕などがこういうことを考えると、つい「人の行為と空間」といった方向に行きたくなりますし、「原則」にまとめてしまうことでイメージが限定されるのも避けたいところです。
ただ、一方で、「いい家」を共有していく最初の手がかりとしては、こうした、なるべく短くわかりやすい(ただしなるべく色々な受け止め方のできる)キーワード、というのも有効かな、と考えはじめています。
いい、悪い、という判断は、人それぞれで違っていて当然なので、ここでいう「いい家」とは、まず自分たちが「いい」と考える家のことです。
けれども、好むと好まざるとに関わらず建築(家も含めて)が社会的な存在である以上、何でもOKでもなければ、儲ければOKでもく、ひとびとのある広がりの中で、共通に「いい」と思える住まいがあって然るべきではないかとも思います。
作り手から無理やり押し付けるのでなく、似たような意識の中で、お互い「いい」と思える家づくりができないか、と考えています。
最近読み返した本の中に、アントニン・レーモンドが弟子達に語った「五つの原則」(natural, simple, direct, honest, economy)というものが、載っていました。
僕などがこういうことを考えると、つい「人の行為と空間」といった方向に行きたくなりますし、「原則」にまとめてしまうことでイメージが限定されるのも避けたいところです。
ただ、一方で、「いい家」を共有していく最初の手がかりとしては、こうした、なるべく短くわかりやすい(ただしなるべく色々な受け止め方のできる)キーワード、というのも有効かな、と考えはじめています。
by ryo-oguchi
| 2006-10-19 13:17
| 家のはなし