2006年 07月 21日
メディアセンター、ではない学びの中心 |
新しい至民中学校は教科センター型の学校です。これは創造系教科だけでなく英数国理社もそれぞれに必要な数の専用の教室とその中央にオープンスペース、教科毎の先生の居場所がセットになった教科の領域を持つ形式です。
教科の中心になるオープンスペースは、今までの教科センター型の学校では「メディアセンター」と呼ばれていました。そこにはその教科に関する文献や資料、コンピュータなどの「メディア」が置かれ、時と場合に応じて教室と一体になったり単独で用いられたり、多様な授業形態に対応する場所である、とされてきました。
ところが、至民中学校で新しい学びの活動、共同体をつくろうとしている、福井大学教育学部の松木教授は、「ちがう」とおっしゃいました。
教科の中心で一番大事なのは、「メディア」ではなく、生徒達がつくった成果物である、と。
そもそも教科センター型のメリットは上下の異学年のコミュニケーションが豊かになることです(教科センター型にしておきながら学年の縛りを厳しくする例も少なくありませんがそれは本末転倒で)。
例えば3年生のつくった成果物が貼り出されていれば、それをみた1年生は、2年後には自分たちもこういうことが出来るようになるんだ、あるいはお手本にしてみようか、自分たちだったらもっとこうするのに、というように先輩から色々なふうに学ぶことが出来る。
逆に3年生は下級生という観客を相手にどのように伝えればよいか、どのように表現すれば伝わりやすいか、自分の中で知識を只受け止めるだけでなく再構築して、つまり学び直すことが出来る。
今いる先輩から後輩への人から始まる学びであり、また過去の優れた作品も同じ場所に展示されることで、同じように学びあう関係が世代を超えて成立する。そうした世代を超えたつながりが蓄積されて、学校の文化と呼ばれるものが出来上がっていく。教科の中心のオープンスペースはその為の場所でありたい。というお話でした。
さて活動と空間の方針が固まってきたとき、このオープンスペースにどのような名前をつけたものだろうか、という話が出ました。
メディアというのは、直訳すれば媒介物ですから、上の世代と下の世代、あるいは過去、現在、未来の学校の文化をつなぐ媒介と思えば、メディアセンターという名前でも良いのでしょうが、現在の教科センター型の学校におけるメディアセンターのメディアは、誰か知らない人が予め用意した、頭に貯蓄すべき教材でしかないわけで、至民中でそれと同じ名前ではまずい。新しい学びを表現することが出来ない。どんな名前がこのオープンスペースに相応しいか、まだ答えは出ていません。
至民中学校の教科の中心では、学びを人から人へ伝えていくために、作品や活動を如何に近づけて並置するか、如何に交換させ、連携させ、一連のものとして展開させ、蓄積させるか、という作業が行われることになるでしょう。
できれば、こうした場の本質を、メディアセンターの代わりになる室名にしたいと思うのですが、ちなみに今はそこは教科という枠組みでのみ統一される、それ以外は自由なだれがどんなことでも出来る(教科に関わることでさえあれば)場所、という意味で「教科の領域」と呼んでいますが…。
教科の中心になるオープンスペースは、今までの教科センター型の学校では「メディアセンター」と呼ばれていました。そこにはその教科に関する文献や資料、コンピュータなどの「メディア」が置かれ、時と場合に応じて教室と一体になったり単独で用いられたり、多様な授業形態に対応する場所である、とされてきました。
ところが、至民中学校で新しい学びの活動、共同体をつくろうとしている、福井大学教育学部の松木教授は、「ちがう」とおっしゃいました。
教科の中心で一番大事なのは、「メディア」ではなく、生徒達がつくった成果物である、と。
そもそも教科センター型のメリットは上下の異学年のコミュニケーションが豊かになることです(教科センター型にしておきながら学年の縛りを厳しくする例も少なくありませんがそれは本末転倒で)。
例えば3年生のつくった成果物が貼り出されていれば、それをみた1年生は、2年後には自分たちもこういうことが出来るようになるんだ、あるいはお手本にしてみようか、自分たちだったらもっとこうするのに、というように先輩から色々なふうに学ぶことが出来る。
逆に3年生は下級生という観客を相手にどのように伝えればよいか、どのように表現すれば伝わりやすいか、自分の中で知識を只受け止めるだけでなく再構築して、つまり学び直すことが出来る。
今いる先輩から後輩への人から始まる学びであり、また過去の優れた作品も同じ場所に展示されることで、同じように学びあう関係が世代を超えて成立する。そうした世代を超えたつながりが蓄積されて、学校の文化と呼ばれるものが出来上がっていく。教科の中心のオープンスペースはその為の場所でありたい。というお話でした。
さて活動と空間の方針が固まってきたとき、このオープンスペースにどのような名前をつけたものだろうか、という話が出ました。
メディアというのは、直訳すれば媒介物ですから、上の世代と下の世代、あるいは過去、現在、未来の学校の文化をつなぐ媒介と思えば、メディアセンターという名前でも良いのでしょうが、現在の教科センター型の学校におけるメディアセンターのメディアは、誰か知らない人が予め用意した、頭に貯蓄すべき教材でしかないわけで、至民中でそれと同じ名前ではまずい。新しい学びを表現することが出来ない。どんな名前がこのオープンスペースに相応しいか、まだ答えは出ていません。
至民中学校の教科の中心では、学びを人から人へ伝えていくために、作品や活動を如何に近づけて並置するか、如何に交換させ、連携させ、一連のものとして展開させ、蓄積させるか、という作業が行われることになるでしょう。
できれば、こうした場の本質を、メディアセンターの代わりになる室名にしたいと思うのですが、ちなみに今はそこは教科という枠組みでのみ統一される、それ以外は自由なだれがどんなことでも出来る(教科に関わることでさえあれば)場所、という意味で「教科の領域」と呼んでいますが…。
by ryo-oguchi
| 2006-07-21 17:59
| 学校について