2010年 01月 05日
手摺と釘隠しとトップライト |
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
このブログの昨年の更新実績は些か惨憺たるものでしたが、年頭にあたり、本年はせめてもう少し定期的になにがしか綴っていきたいと考えています。
正月休みに、沼津御用邸・西附属邸を観に行ってきました。
沼津御用邸は明治26年から昭和44年まで利用された御用邸ですが、その後記念公園となり、現在は西附属邸のみが一般開放されています。この建物について目についたことを3点ほど。
その1手摺
御座所(御座所・寝室・着換所)の三室の南には巾一間の皇族用廊下があり、更にその外側に縁側状の廊下があるのですが、この廊下から外に出る連装の掃出戸の手前の手摺。
高さは60センチほど。縁側のふちに手摺というのもなかなか無いしつらえですが、この建物はもともと大正天皇の幼い皇子のための御用邸だったため、落下防止に設置されたようです。
現行法規に則ると隙間や足がかりが問題になるのでしょうが、周囲に大人の目が必ずあることを思えば、細やかなユニバーサルデザインだと思います。
その2釘隠し
説明書きには「宮廷建築」という言葉も使われていますが、この御用邸はそうした言葉から連想される装飾や豪奢な雰囲気は希薄で、どちらかというとシンプルで機能的、でもよく見ると材料はよい(例えば柱は松の四方柾など)という、見た目よりも実質に優れた建物に思えます。
その中でわかりやすい凝ったしつらえとして釘隠しです。遠くから見ると、模様的なシルエットだけが見えますが、よく見るとどれも鳥や草木等の図案になっています。
その3トップライト
果たして創建当初から屋根までガラスのトップライトだったのか、と思わないでもありませんが、調理室の上に大きなトップライトが乗っています。
このトップライトと2方向の全面開口(腰部はコンクリート)で、調理室はとにかく明るい。
建物全体のイメージでもありますが、ガラスが多用され、単純な水平垂直のラインによる構成は、なんといいますかバウハウスっぽい佇まいというと言いすぎでしょうか。
このブログの昨年の更新実績は些か惨憺たるものでしたが、年頭にあたり、本年はせめてもう少し定期的になにがしか綴っていきたいと考えています。
正月休みに、沼津御用邸・西附属邸を観に行ってきました。
沼津御用邸は明治26年から昭和44年まで利用された御用邸ですが、その後記念公園となり、現在は西附属邸のみが一般開放されています。この建物について目についたことを3点ほど。
その1手摺
御座所(御座所・寝室・着換所)の三室の南には巾一間の皇族用廊下があり、更にその外側に縁側状の廊下があるのですが、この廊下から外に出る連装の掃出戸の手前の手摺。
高さは60センチほど。縁側のふちに手摺というのもなかなか無いしつらえですが、この建物はもともと大正天皇の幼い皇子のための御用邸だったため、落下防止に設置されたようです。
現行法規に則ると隙間や足がかりが問題になるのでしょうが、周囲に大人の目が必ずあることを思えば、細やかなユニバーサルデザインだと思います。
その2釘隠し
説明書きには「宮廷建築」という言葉も使われていますが、この御用邸はそうした言葉から連想される装飾や豪奢な雰囲気は希薄で、どちらかというとシンプルで機能的、でもよく見ると材料はよい(例えば柱は松の四方柾など)という、見た目よりも実質に優れた建物に思えます。
その中でわかりやすい凝ったしつらえとして釘隠しです。遠くから見ると、模様的なシルエットだけが見えますが、よく見るとどれも鳥や草木等の図案になっています。
その3トップライト
このトップライトと2方向の全面開口(腰部はコンクリート)で、調理室はとにかく明るい。
建物全体のイメージでもありますが、ガラスが多用され、単純な水平垂直のラインによる構成は、なんといいますかバウハウスっぽい佇まいというと言いすぎでしょうか。
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by ryo-oguchi
| 2010-01-05 18:41
| 建築のはなし