2012年 05月 08日
百年という時間 |
日本における建築の寿命は残念ながら総じて儚いもので、そうした世の中でもしっかりつくってしっかり手入れして、百年二百年住み継いでいける住まいをつくりましょう、という話をするわけですが、一方で百年という時間の長さを具体的に実感できる機会はそうないのも事実です。
百年も生きていられるわけではないですし、百年前からあるものというのも身近にはなかなかありません。
ところが昨年処分された祖父母の住まいからでてきた端午の節句の鎧兜。
箱書きによると、祖父が生まれたときに男の初孫誕生を喜んでその祖父(私からするとひいひいじいさん)が贈ったものらしく、祖父の誕生は明治末年のことですからこの鎧兜もすでに百年以上を経ているということで、この五月はじめに、百年という時間を目の当たりにして、この鎧兜の来し方行く末に考えを巡らせたりしています。
百年も生きていられるわけではないですし、百年前からあるものというのも身近にはなかなかありません。
ところが昨年処分された祖父母の住まいからでてきた端午の節句の鎧兜。
箱書きによると、祖父が生まれたときに男の初孫誕生を喜んでその祖父(私からするとひいひいじいさん)が贈ったものらしく、祖父の誕生は明治末年のことですからこの鎧兜もすでに百年以上を経ているということで、この五月はじめに、百年という時間を目の当たりにして、この鎧兜の来し方行く末に考えを巡らせたりしています。
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by ryo-oguchi
| 2012-05-08 17:22