2006年 10月 05日
無用の案内 |
京都で学生時代を過ごしたせいで、知合いの誰かが京都に出掛けるとなると、なにがしか情報を伝えたくなってしまいます。
けれども、卒業してからもはや十有五年の月日が流れていて、実は、多くの情報は無用の代物と化していることに、否応なく気づかされることになるのです。
あの頃、北山に一軒だけあった美味しいケーキ屋さんが、いつの間にか全国展開を始めていて、実は東京でも買えるようになっていたり、逆にいつの間にかつぶれてなくなってしまったケーキ屋さんもあったりという、栄枯盛衰の激しいケーキ屋さんに関する情報などはそのよい例です。
一方で全く逆の意味で、無用の案内としては、飲食系の情報があります。
当時よく行っていたお店は、概ね社会人となった今の尺度で計ると、「あやしい」としか形容のしようがなく、飲み物も食べ物も美味しいのだけれど、京都らしいかと訊かれればそうとも言いがたく、そもそもどれもこれも入り組んだややこしい立地なので、道順の説明すら覚束ない始末。
なんともはや難しいものがあります。
今でも万人にお勧めできるのは、三条木屋町上る東の「めなみ」くらいでしょうか。
学生時代は、なかなか行けなかったお店ですけれど。
けれども、卒業してからもはや十有五年の月日が流れていて、実は、多くの情報は無用の代物と化していることに、否応なく気づかされることになるのです。
あの頃、北山に一軒だけあった美味しいケーキ屋さんが、いつの間にか全国展開を始めていて、実は東京でも買えるようになっていたり、逆にいつの間にかつぶれてなくなってしまったケーキ屋さんもあったりという、栄枯盛衰の激しいケーキ屋さんに関する情報などはそのよい例です。
一方で全く逆の意味で、無用の案内としては、飲食系の情報があります。
当時よく行っていたお店は、概ね社会人となった今の尺度で計ると、「あやしい」としか形容のしようがなく、飲み物も食べ物も美味しいのだけれど、京都らしいかと訊かれればそうとも言いがたく、そもそもどれもこれも入り組んだややこしい立地なので、道順の説明すら覚束ない始末。
なんともはや難しいものがあります。
今でも万人にお勧めできるのは、三条木屋町上る東の「めなみ」くらいでしょうか。
学生時代は、なかなか行けなかったお店ですけれど。
by ryo-oguchi
| 2006-10-05 16:53
| 京都のはなし