2006年 08月 28日
美術館について |
来年、日印文化協定の調印五十周年を記念して、日本の現代美術を紹介する展覧会が、インドのデリーで開かれることになっていて、その会場に予定されているのが、インド門の近くにある国立近代美術館です。
日本の近代美術館というと、東京竹橋や京都の疎水沿にある、美術館として建てられた建物ですが、デリーのそれは、おそらくかつての誰かの館を美術館としてつかうことにしたものらしく、美術館にしては部屋は小さく、天井は低く、のみならず床にはきれいな石の象眼で文様が施され、壁にも古様式の付け柱が並んでいて、壁が白く塗られていなければとても美術館とは思えない、昔懐かしい雰囲気のよい建物です。
しばらく前から最近に至るまで、美術館というと、白い、閉じた、箱のような室内空間ばかりつくられてきました。
作家のほうが、そうした展示空間を念頭に作品を作っていたということもありますが、もう美術館などいらないという人がいる一方で、美術館をつくるからには、いまだに学芸員も建築家も白い閉じた箱をつくってしまう、という状態が続いています。
例えば豊田市美術館のように、白いけれども閉じない、ゆるやかに連続して全体としてひとつの空間として感じられる、また作品を陰影としてみせられる美術館すら希少です。
今回のデリーの美術館のように、『白く閉じた箱』という強いキャラクターを持った空間でない、歴史とひとの手の感じられる柔らかいキャラクターの空間を使った展覧会は、とても興味深いものがあります。
来年秋は、デリーに行きましょう。
日本の近代美術館というと、東京竹橋や京都の疎水沿にある、美術館として建てられた建物ですが、デリーのそれは、おそらくかつての誰かの館を美術館としてつかうことにしたものらしく、美術館にしては部屋は小さく、天井は低く、のみならず床にはきれいな石の象眼で文様が施され、壁にも古様式の付け柱が並んでいて、壁が白く塗られていなければとても美術館とは思えない、昔懐かしい雰囲気のよい建物です。
しばらく前から最近に至るまで、美術館というと、白い、閉じた、箱のような室内空間ばかりつくられてきました。
作家のほうが、そうした展示空間を念頭に作品を作っていたということもありますが、もう美術館などいらないという人がいる一方で、美術館をつくるからには、いまだに学芸員も建築家も白い閉じた箱をつくってしまう、という状態が続いています。
例えば豊田市美術館のように、白いけれども閉じない、ゆるやかに連続して全体としてひとつの空間として感じられる、また作品を陰影としてみせられる美術館すら希少です。
今回のデリーの美術館のように、『白く閉じた箱』という強いキャラクターを持った空間でない、歴史とひとの手の感じられる柔らかいキャラクターの空間を使った展覧会は、とても興味深いものがあります。
来年秋は、デリーに行きましょう。
by ryo-oguchi
| 2006-08-28 12:08
| 建築のはなし